雨は毛布のように

キリンジのこの曲のコーラスがaikoだなんて知らなかった、つい最近まで。
雨の音はいい。本当にいい。落ち着くなぁ。

「外に出なくてもいいよ」と言われているようで安心するのか、建物の中で自分は濡れずに音だけを聴く、あの「守られている」感じが安心するのか。多分どっちもだ。

雨の日に外を歩くのはそりゃぁあんまり好きじゃないけど、雨の音はたまらなく好きだ。


今日、人の傘を借りてちょっと外出したのだけど、いい傘は雨が落ちてはじける時の音もいいのだなぁ、と感心した。 ビニール傘や安物の傘ではだめだなぁ、あの音は出ない。


小学校1年の国語の時間にやった「おじさんのかさ」とかいう話を思い出した。
あの話も確か、傘を大事にしすぎて雨の日も傘をささないおじさんが、ある日傘に雨の当たる音に楽しくなってしまう話ではなかったか。
あ!あとはトトロだ!あの毛がゾビゾビッってなる感じ!

おじさんのかさ (講談社の創作絵本)

おじさんのかさ (講談社の創作絵本)

授業中「この中に出てくる『かもしれない』というのはどういう意味ですか?」って聞かれたのを今でも覚えている。
私は張り切って「雨が『降るかもしれない』し、『降らないかもしれない』って意味です」って自信満々に答えたのに、先生は困った顔して「そうじゃないのよね〜」って言うんだよね。
だってそうじゃんねぇ?だから私は「この人わっかんない人だな〜」って思って(笑)「だから〜」って説明するのに、先生も「この子わからん子やな〜」って感じで「先生が聞きたいのはそういうことじゃないのよねぇ」みたいなことやんわりと言ってきて、全然両者引かなかった覚えがある。(笑)
先生は多分『かもしれない』という言葉の辞書的な意味、文法的な意味を聞きたかったんだと思うけど、今思うとあの質問は小1には難しすぎやしないか。
先生の言ってる意味もなんとなく分かっていたし、多分正解も頭の中にはあったんだろうけど、それを表す語彙が当時の私には無くて言えなくて、「先生の言うことも分かる!分かるけどさ!私そういう難しい言葉では言えん!フィーリングで分かれよ!そこは!」みたいな(笑)もどかしさと苛立ちがあった。
あの先生、嫌いだったなぁ。先生も私のこと嫌いだったと思うけど。 あの頃本当に反抗期だった。とんがってたよ。ナイフみたいに尖っては触るものみな傷つけてたよ。


好きじゃないと書いたけど、足や手先だけ濡れるのが好きじゃないだけで、後先考えず全身びしょびしょになるのは好きです。
スニーカーとか、足先が湿ってくると「うわっ」っとなるのですが、それを過ぎてびしょびしょになってくる頃のあのやけになる感じはだいすきです。
わざと水溜りに足突っ込んだり、裸足になって歩いたりして。
服が体に引っ付いて重くなったり、髪の毛を滴ってあごや首を伝う水の感覚とかとても気持ちいい。
…もちろん、そんなことこの歳でやったら本気で引かれるどころか通報騒ぎになることは確実なので、これはずうっと昔の記憶と感覚ですが。
でも人目がなかったらやりたい。
こんな日に本読んだりしたら最高だなぁ、と思いながらも、最近それどころじゃなく忙しいので、今日も自炊をストップして家の中でコンビニの焼きそばを食べていたりするのです。